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 イザベラ・バードの足跡を辿り、“やまがた”の魅力を探る

活動報告report

2011/11/05 『イザベラ・バードの山形路』出版記念祝賀会(報告:矢口)

散居集落 イギリス人女性旅行家イザベラ・バードが横浜港の埠頭(通称:象の鼻)に降り立ったのは1878年(明治11年)今から133年も前のことだった。
 東京のイギリス公使館から埼玉粕壁〜栃木日光〜福島〜新潟を抜け山形に入った。梅雨の時期で、特にこの年は雨が多かったようだ。しかし、小国十三峠の宇津峠を越える頃には雨も上がり、金山町を抜けるまでの山形路はとても快適な旅だったようだ。
 2007年6月「元気・まちネット」の阿部、佐野、矢口の3名は、伊藤記者、色摩カメラマンと米坂線越後片貝駅で待ち合わせた。この企画に興味を示してくれた山形新聞社が同行取材を求めてくれた。

文学散歩の旅ちらしこうして「イザベラ・バードの山形路(約200km)」を、6月と9月の2度に渡ってくまなく踏査・検証した。詳細は山形新聞の記事をご覧いただきたい。
bird icon『バードの道』は今(山形新聞)
     PDF県境から置賜 踏査同行(2007/06/09-15:全7回)
     PDF赤湯から真室川 踏査同行(2007/10/16-23:全7回)

 2008年には山形路を3回に分け1泊2日の文学散歩の旅を、翌2009年には小国十三峠から金山までを2泊3日のダイジェスト版で文学散歩の旅を実施した。
 その旅にご夫妻で参加してくれたのが渋谷さんだった。学生時代に読んだ『日本奥地紀行』がこの旅で渋谷さんのハートに真っ赤な火を灯した。
 それから約二年、鹿児島や横浜開港資料館に足を伸ばし、イザベラ・バードの足跡をつぶさに調査した。バードは何故一人で未踏の地を旅したのか、その後4回も来日したのはどうしてだったのか。深い探求心と飽くなき好奇心に充ち満ちて『イザベラ・バードの山形路−「アルカディア街道」散策のススメ』はこの7月、ついに出版するに至った。

散居集落 その出版記念祝賀会に招かれ山形に向かった。
 国際ホテルでの出版記念祝賀会には教育関係者120名が出席、会場は熱気に溢れた。この晴れがましい席で最後の最後にスピーチをさせて頂く栄誉に預かった。
 イザベラ・バードが残してくれたエデンの園(日本)を私たちは後世に語り継がなければと心に誓った。
 森があって川が流れ、豊かな町や村があちこちにあり、雄大な山々に囲まれ、その山は必ずしもすべてが森林に覆われているのではないのです。そして平野の南端には七月中旬でも白雪を冠った山脈が聳えています。
東洋のアルカディア・・・

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