A.@自分(矢口)が蔵王スキー場をホームゲレンデにしていたこと。A白洲さんもスキーが好きだったこと。B自分(矢口)が最初に勤務した会社の社長が白洲さんと親しかったこと、などが主な理由です。
A:以前から白洲次郎という名前は知っていました。本屋さんでカッコイイ写真付きで「風の男・白洲次郎」という本を手に取ってみてからです。本の中に自分が勤務した会社の社長が出てきてビックリしました。その後、2006年4月NHKの「その時歴史が動いた・白洲次郎」にも元社長が映っていたので二度ビックリしました。蔵王=白洲次郎=永山時雄=矢口=蔵王…という、何か「縁」のようなものを感じました。
A.どうでしょうか?はっきり解りませんし、自信もありません。
ただ白洲次郎・正子さんと言えば色々な意味で全国にファンが多いことでも知られています。その白洲次郎は蔵王が好きだった。そして「東洋のサンモリッツ」にしたいと惚れ込んで山荘を建てて楽しんでくれた。ということは山形県人として誇らしいし嬉しいことです。そういう彼の意思を継いでいきたいと思っています。
A:2,3年の期限を決めて「一般開放」出来るよう頑張ってみます。所有者の三宅さんは、蔵王温泉の活性化に寄与できれば嬉しいと語っています。そのあとは所有者、蔵王温泉や山形県の関係者の方々と「維持・管理・運営」などについて協議しながら一番ふさわしい方向に持っていければと思っています。ただ、なるべくオリジナルな形で残していきたいと考えています。
A:さあ、どうでしょうか。それは蔵王の皆さんが考えることなので解りません。ただ、「スキー場=蔵王」よりも「温泉湯治場を含め四季を楽しめる=蔵王」になったらいいだろうなと思っています。
A.7,8年前です。白洲次郎の本を色々読んでいるうちに知りました。蔵王に滑りに来るたびに外観を見るだけでした。観光協会にも立ち寄って話しを聞くようになりましたが、個人の所有なので内部は見られないと聞かされていました。
A.最初は志賀高原の木戸池温泉スキー場にヒュッテ・ヤレンはあったそうです。
それが、昭和26年に東北電力の会長に就任して東北に来るようになりました。そして蔵王が気に入り志賀高原の山荘を処分して蔵王に山荘を建てたということです。
A.内部を見られるようになったのは偶然な出来事がきっかけだったのです。
2009年にスキー仲間と蔵王のゲレンデで偶然再会し、一緒にリフトを乗っているとき、ふと白洲山荘のことを話したら、知人がいるから会わせてくれるということで話はとんとん拍子に進んで、内部を見ることが出来ました。
A.今は「一般開放」はしていません。というより、個人所有なので見られるようにはなっていませんが、「蔵王上の台ロッヂ」に宿泊した方だけは見られます。
A.「一般開放」するには、「不特定多数」の人が入ることになるので、耐震性など建物の構造などについて改修しなければなりません。目標額の募金が集まってそれから整備した後でないと一般開放は出来ません。私たちは2014年2月に蔵王で「冬季国体」が開催されるのでその時には見られるようになればと思っています。
募金合計(2014/03/13現在) |
¥553,670 |
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パンフレット(内面) |
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