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 イザベラ・バードの足跡を辿り、“やまがた”の魅力を探る

活動報告report

2011/10/8-9 アルカディア街道I・B倶楽部/第二回研究会の旅

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研究会の旅・プロローグ

最上川2006 ふるさと山形を勝手連的に元気にしようと思い立ち、活動を開始したのが5年前の2006年だった。「最上川・街道・三賢者(義経、芭蕉、イザベラ・バード)」をキーワードにすることで、庄内・最上・村山・置賜の4つの行政区を取り込むことが出来ると考えた。そして義経北国落ち200km、芭蕉おくの細道200km、イザベラ・バードアルカディア街道200kmを徒歩とMTB(マウンテンバイク)で踏査・検証した。2009年〜2010年は清河八郎・回天の道150kmも踏査・検証した。この4人に共通するのは「最上川と街道」である。実践することで見えないものが鮮明に見えてくるから実に面白い。横浜のS野女史はこの5年間で優に800kmを超える山形の旅を経験した。最高の財産になったのではないだろうか…

鼠ケ関 観光で地域振興を考えれば「広域連携」「ストーリー性」というキーワードを外せない。自治体や有識者はこぞってこの2つを声高に叫ぶが「予算が付く」という条件であればこの2つを取り込んで事業は可能だ。ところが首長や職員は2年から4年で交代する。首長が変われば施策も当然変わる。何故か?それは4年間で実績を挙げなければ次の選挙に響くからに他ならない。故に前首長の施策は良くとも継続しないのが基本である。
「いいものは」は継続してこそ価値が出るし、文化としても後世に残る。2年や4年で施策がころころ変わるということは税金の無駄遣い以外の何ものでもない。ところが自治体はそんなことはお構いなしで新規事業を立ち上げる。座頭市物語ではないが「嫌な渡世だなあ〜」である。
脱線してしまったが、ふるさと山形には相当な思い入れがある。 特に観光振興は「広域連携・ストーリー性」は欠かせない。元気・まちネットは広域連携・ストーリー性に軸足を起きながら山形を舞台に観光振興策を具現化したい。

その実現のために第二回研究会の旅を企画・実施した。 PDFアイコン旅行パンフレット

日にち スケジュール 宿泊
10/8(土)
集合:赤湯駅西口広場(9:00)
9:00/赤湯駅→10:30わかぶなスキー場:沼集落→大里峠(5.6km/約2時間30分)→(昼食)→萱野峠(3.2km/約2時間)→16:30小国温泉松風館泊 小国温泉松風館
(男女別の相部屋を予定)
★夜:はっきり言って語り明かします。乞うご期待!!
10/9(日)
解散:赤湯駅
(16:30頃)
8:30/小国温泉松風館→9:00黒沢峠(2.7km/約1時間30分)→(昼食)→宇津峠(2.5km/約1時間30分)→14:30樽平酒造/掬水巧藝館見学→16:30/赤湯駅:解散

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研究会の旅・レポート(矢口正武)

渋谷さんご夫妻(2009) 2009年、小国13峠から山形市内を抜け金山町まで2泊3日のダイジェスト版の旅を企画・実施した。その旅の参加者に渋谷さんご夫妻がいた。奥様の話によると、それから気が変わったように「イザベラ・バード」の名をうわごとのように繰り返す夜が続いたという。大好きななパチンコ屋通いをきっぱり止め、大学時代に読んだ「日本奥地紀行」をタンスの中から引っ張り出し、狂ったようにバードにのめり込んで行ったらしい。そして2009年から約2年かけて大作「イザベラ・バードの山形路」が今年8月に完成した。先日、増刷が決まったと嬉しい連絡を貰った。僕も凄く嬉しい。そりゃそうだ、あの本が増刷されずどんな本が増刷されるというのだ。山形県の貴重な歴史的資料として残っていくことだろう。そうならねばならないのだ。

小国十三峠 思えば2006年、山形大学が募集したコンペが僕の人生を狂わせた。「山形大学が地球を救う/自然と人間の共生プロジェクト」がコンペの題材だった。あれ以来、こちらも「最上川・街道・三賢者」をうわごとのように繰り返した。バードのシンポジウムを東京・山形で4回、旅企画を4回実施、そして今年5月「アルカディア街道I・B倶楽部」が山形の皆さんを中心にして結成された。6月には第一回研究会の旅、そして今回の第二回研究会の旅は、紅葉に染まる小国十三峠の旅だ。新潟県との県境にある大里峠(5.6km、約2時間30分)から始まり、萱野峠(3.2km、約2時間)、黒沢峠(2.7km、約1時間30分)、宇津峠(2.5km、約1時間30分)を2日間で縦走する。十三峠と名前が残るが、実際に散策可能な峠は上記の4峠になってしまった。
 1878年(明治11年)と言えば今から133年も前である。青い目をしたイギリス人女性旅行家イザベラ・バードは未踏の地、東北・北海道の旅に出発した。

参加者の皆さんと 新庄駅から親戚の茂君と上りのつばさに乗車、8:45赤湯駅到着、ちょっと天気が気になる。参加者も三々五々集まって来た。あれ?肝心の佐野理事の顔が見えない。「つばさ」から降りて来たのは橋田さんと初参加のFさんだけ…。どうも「2人の席(2人は上野発)を確保せねば」と緊張し過ぎて逆に寝坊したらしい。解るなぁ〜、あの気持ち。9:00過ぎ一行はマイクロバスで新潟県側へ。2日間ガイドをしてくれる舟山さんと合流、予約していた昼のおにぎりもゲットし10:30新潟側の大里峠入り口に予定通り到着。心配された雨も心配ないと舟山さん、心強い。大里峠は距離5.6km、時間にして2時間30分の行程、管理の行き届いた杉林の中を一行は進む。ゆる〜い上り勾配が続く。

紅葉トンネル(大里峠) 昔の鉱山跡(畑鉱山)を過ぎ、いよいよ広葉樹林帯に入る。このあたりからキノコや栗が目立ち始める。バードの研究会のハズなのだが…頂上近くになるとモミジトンネルとなり我々を迎えてくれる。歩くこと90分大里峠に到着。円形の広場は芝生、ここから尾根に登ると新潟の関川村、その向こうには日本海が見えるハズだが…広場に戻ってお昼、このおにぎりセットの味は抜群、なんとマイタケ天ぷらに加え、牡蠣フライまで入っているではないか。余談になるが「牡蠣はカキフライにされるため生まれてきた」とは矢口説??広場の周囲もモミジに覆われていてあと10日間ほどすれば紅葉が楽しめたハズ。I・Bは2時間交渉して牛を手に入れ、牛に乗って大里峠を越えている。栗拾いに夢中になり約30分遅く14:30玉川集落に到着した。バードは「溺れるほどの雨」に遭いながら小国に入っている。ここで「つばさ」に乗り遅れた佐野さんと合流、何はともあれ良かった、良かった。これからが旅最大の危険に遭遇するのだが…。なんとあの赤い吊り橋の下に「黄色スズメバチ」の巣があるというのだ。さあどうするか…一行の身に危険が迫る。

玉川大橋 県道長者原下新田線を横断して水音のする方向に道を下ると真っ赤なつり橋が見えてくる。ここからの玉川渓谷の眺め(流れ)は圧巻…橋の上から飛び込んでみたい衝動に駆られる。渓谷を眺めながらすんなり赤い吊り橋を渡る予定だったが、ここで大事件が勃発。何とキイロスズメバチが三匹、吊り橋の板の上で虎視眈々と我々が近づくをの待っている。これにはさすがにビビった。ガイドの舟山さんは流石に場慣れしていて、ハチのそばで静かに端を渡るように誘導してくれた。しかしここでS女史、Hさんがふくらはぎの下を刺されてしまう。舟山さんがリムーバー(吸い出し器具)で毒を抜き、薬を塗って幸い大事には至らなかった。12名が渡り終えるのに30分も掛かった。

姥杉 こうして難関を突破した一行は、途中「夜泣きの松」があったところを通り過ぎ、一つの根から何本も幹がでる「姥杉」を見ながら萱野峠の頂上(348m)へ…頂上から足野水まで1.7km(50分)ゆっくり下る。綺麗に整備された小径を進むと水音が聞こえて来る。三段に流れ落ちる黒滝はなかなか趣のある滝だ。ここで舟山さんから癒しの体操を教えて貰った。確かに体が軽くなったようだ。そこから下り基調の峠道を下りていくと山の清水が造る美しい湿地帯に出る。2つの峠道を終えたときは16:00を過ぎていた。長かった〜。迎えのマイクロバスに乗り今日の宿「松風館」に向かう。

松風館にて 錦会長、山形市内から参加の近藤夫妻も合流、これで15名全員が顔を揃えたことになる。温泉にゆっくり浸かり今日の汗を流す。う〜んいい気分だ。18:30から夕食兼研究会の議論が錦会長の挨拶で始まる。手始めに参加者の自己紹介と今日の旅についての印象をそれぞれユーモアを交えて述べる。栗拾いとキノコ狩りに終始していたように感じるのだが気のせいか?渋谷副会長が書き下ろした「イザベラ・バードの山形路」の評判は上々でこの席でも何冊か売れた。
 旅の2日目は午前7:00朝食、8:30宿を出て途中ガイドの舟山さんと合流、黒沢峠に向かう。何と言っても一番人気はこの黒沢峠だろう。(上り1.6km、約40分。下り1.1km、約25分)3,600段の石段は圧巻、よくぞここまで敷いたものだ。黒沢峠に入るといきなり石切場跡地に出会う。ここで加工された石が牛馬や人の手によって丁寧に敷かれていったのだろう、機械が無かったこのころの労働は想像を絶するような重労働だったに違いない。

敷石峠に入り飯豊のブナ林に囲まれながら先人達が敷いてくれた敷石を一歩一歩踏みしめながら歩を進める。敷石には工事に拘わった人々が遊び心で掘ったと思われる似顔絵があり、風雨にさらされ年輪のようにすり減った石、苔むしたままの石など400数十年の長い歴史がこれらの敷石にしっかりと刻み込まれている。これらに混じって自然のいたずらか、木の葉が石に張り付いて葉脈だけになった押し花もどきの石を見つけることも…。ブナの巨木や一里塚、古屋敷跡を抜け歩くこと約1時間で黒沢峠(498m)の頂上に着く。黒沢峠の石段の数はなんと3,600段、ちょっとした急坂を30分ほど下ると市野々集落に到着。2008年完成したダムが目の前に広がる。迎えのバスに乗りダムを見下ろす展望台に到着、眼下にはこのダム工事で移植された大銀杏が我々を迎えてくれる。ふと御母衣ダムの荘川桜のことを思い出す。 一行は迎えのマイクロバスに乗って次の宇津峠に向かう。

サイカチの大樹(宇津峠へ) 1時間ほどゆる〜い砂利道を進むと頂上手前の祠にはキタコブシの巨木が僕らを迎えてくれた。ここには「イザベラの道」と書かれた道標が立っている。宇津峠頂上から落葉広葉樹林帯の峠道をしばらく下ると「イザベラ・バード遠望地」と書かれた小さな標柱があった。バードもここいらで一休みしたのだろうか?我々もバードの気分になってしばし休憩をとる。「エデンの園や東洋のアルカディア」論を思い思い語り合う。これぞ研究会の旅にふさわしい。雪崩止めの鋼鉄で出来た柵の横を通り、落ち葉でふかふかになった道を下りおりるとシナノキやブナに囲まれた落合地蔵尊に到着する。この地蔵尊は腰痛に効果があると言われ、遠くからも農作業で腰を痛めた人がお参りに来るらしい。13峠の中での大きな峠はこれで終了!
2日間頼れるガイドをしてくれた舟山さんとお別れする。

樽平酒造ここからはお酒好きには堪らない酒蔵「樽平」と「掬水巧藝館」の素晴らしい美術品を見学しましょう。一番観賞したかった”壺”は、3.11以来、倉庫にしまったという。それで入場料は同じとは?…バードは『山から下りて米沢平野に出てこんもりと茂った松林を抜けて家並みを見ると清潔さが増し安楽な生活を暗示しているようだった』そして手ノ子から小松まで6マイル(約10km)を歩いた。『小松は美しい環境の中にある町で綿製品や絹、酒を手広く商売している。』と書いている。羽前小松という町も今は川西町(最上川の西にあるところから町村合併でこの名がついた)と地名に変わってしまったが、小松とあるように松が多いまちだったと聞く。羽前小松と呼ぶ方が歴史を感じさせくれるし、風情がある。米沢の城下でもあったことから遊郭もあり、酒屋も多く昔は相当賑わっていたらしい。

イザベラ・バード遠望地(宇津峠)小松で日曜日を過ごしたバードだが、夜中、池の蛙の鳴き声でよく休めなかった。小松で用意された二頭の馬で松川(最上川)に灌漑された吉田、洲島(すのしま)、黒川、高山、高滝を通り渡し船で松川を超して津久茂を経て赤湯に向かうのである。飯豊・吾妻連峰の麓に雄大に広がる置賜平野の田園地帯を眺めながらゆっくり進んだのだろう。『たいそう暑かったが、快い夏の日であった。会津の雪の連峰も、日光に輝いていると、冷たくは見えなかった。米沢平野は、南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。』という、余りにも有名なフレーズは130年たった今でも色あせることはない。
こうして「第二回研究会の旅」も無事終了した。

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